今回は、難易度に関する考え方について整理しておきたいと思います。
『ライズオブリベリオン』というゲームをレビューした際、「簡単にしてほしい」とは言いませんでした。
代わりに「うまくなる導線があれば」と提案した理由について、順を追って説明していきます。
前回の記事
なぜ「簡単にしてほしい」と言わなかったのか?

ゲームをプレイしていて「難しい」と感じたとき、選択肢はいくつかあります。
そのまま進める、やめる、あるいは「もう少し簡単にしてほしい」と伝える。
でも前回、私はそう言いませんでした。
代わりに、「うまくなるための導線があればありがたい」と提案しました。
どちらが正解という話ではなく、そちらを選んだのには理由がありました。
難易度というのは、ただの数字ではなく、ゲーム全体の設計や体験そのものに直結しています。
だから一律に下げてしまうと、元の意図や楽しさまで薄まる可能性があります。
簡単にすることよりも、乗り越える過程を用意してもらえた方が、体験としては良質なものになる可能性もあります。そういった前提で、「簡単に」ではなく「成長を助ける仕組み」に注目しました。
大前提「難易度を下げてほしい」の曖昧さ

大前提として「難易度を下げてほしい」という要望には、複数の意味が含まれる場合があります。
敵の耐久力を減らすのか、プレイヤー側の火力を上げるのか、あるいはテンポや操作性に関わる調整なのか。
その内容が明確でないと、意図しない方向にバランスを崩してしまう可能性があります。
そういう意味では「簡単してほしい」ということ自体が要望として機能していないと感じます。
逆の発想として「プレイヤーを強くする」

さっきのように「敵を弱くする」という曖昧な表現よりもプレイヤー強くするというのは確実性が高いと感じました。少なくとも開発者の方はそのレベルに到達し、ゲーム自体が面白いと感じているという大前提があったからです。
また自身で工夫して乗り越えたという体験は、その後の満足度にも大きく影響します。
ゆえに難易度を下げるよりも、成長の余地を提供する調整のほうが有効に働くことがあると考えています。
練習機能などの「成長導線」の必要性

プレイヤーがつまずいたときに、少しでも打開のヒントがあると、前向きな挑戦が続きやすくなります。単なる高難度ではなく、成長の段階を感じられる構造になっていれば、結果的にゲーム全体への評価にもつながる可能性が高いようにも感じます。
道しるべもなく、ただ「強くなれ」と言われても、どうすればいいのかわからないユーザーがほとんどでしょうし。
共通体験とSNS時代のつながり

同じ難所で苦労した経験を共有できると、プレイヤー間のコミュニケーションも活発になります。
例えばエルデンリングのマレニアなんかもネットで話題になりましたよね。このようにSNSを通じて共通の話題が生まれることで、ゲームの印象や話題性にも影響を与えることがあります。
ある程度の難しさを残すことには、そうした価値を提供するという意味もあると思います。
「他の難易度調整」はないのか

余談ではありますが、難易度の調整には、数値の変更以外にもさまざまな手段があります。
一番オーソドックスなものだとレベルシステムではないでしょうか。
このシステムはユーザーが努力すれば難易度が調整できる優れたシステムです。
またヒント表示、やり直しのしやすさなど、体験の密度を保ったままハードルを下げる方法も存在します。
そのゲームに合った手段を選べるかどうかが、全体の印象を左右する要素になるかもしれませんね。
ラストリベリオンではレベルシステムもないため、SEKIROに近い「練習機能」という形になるのは自然なようにも感じました。
余談:オンラインと課金型の違い

余談として、課金モデルが難易度調整にはいるかという話をしました。
ただこういったゲームの場合は課金によって難易度調整するための努力をすっとばせることがほとんどなので違うのではないかという話になりました。
こちらについては別の機会に解説するかもしれません。
まとめと視点の整理
今回は「難しいゲームを簡単にしてほしい」と言わなかった理由について紹介しました。
難しさを下げることで失われるものも多く、難しいゲームを工夫して乗り越えたときに得られる満足感もたくさんあるので、メリットよりもデメリットのほうが大きいと感じることが多かったため、「簡単にして」とは提案しませんでした。
この解説を通して難しさを単純な悪とするのではなく、ゲーム側がそこをどうアシストをするかという方がむしろ重要かもしれませんね。
では今回はここでおしまいです。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
興味がある方はぜひ動画も見ていただけましたら幸いです。




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